書き暮らしのテフレッティ

へっぽこ営業マンのぼやき

旭川医科大学病院脳神経内科 受診顛末

父の車に乗せてもらい一緒に0700頃に稚内を出発して11時台に旭川入り。12時前に大戸屋に入り昼食をとって、旭川医科大学病院に着いたのはちょうど1240。

二度目の受診のせいなのか、あるいは濃厚接触防止の関係なのか、看護師問診は外来受付22番カウンターの横で端的にさっくりと。

どうしても脳神経内科は診察室でも検査が種々あって「押す」わけで、予約時間からしばらく経って呼ばれる。診察室で話してから一連の検査をし(これがやっぱり30分弱かかっていたらしい)、鑑別のため筋電図と頭部CTへ。

筋電図(というか、末梢神経伝導速度検査)は今日の予約が14時台だけ空いており、直接Dr.が担当部署へ内線を掛けて確認してからオーダー。いやぁ、私の日頃の行いが良いからでしょうか。

筋電図検査では入院時に左半身・右半身をして頂いたのと同じ技師の方が担当。覚えてくださっていて、それはそれは楽しい雑談の40分間でした。頭部CTもサクッと終えて、少し待って、再び診察。
結果、諸検査どれも異常なし。すなわちいわく、「身体表現性障害=身体症状症」とのこと(こりゃ精神科の領域ですなー)。

痛みや痺れには対症療法的に薬を使って(今まで使ったことのあるトラムセットやタリージェで良いみたい)、生活の留意点としては、疲労・ストレスを溜めないこと、らしい。心当たり、大いにあり。

思い返せば昨夏の旭医大病院脳神経内科に即入院のときも、採血・採尿・X線・CT (持参)・MR・筋電図すべてが問題なかった。あれは恩師が亡くなった数週間後のこと。ストレスだったのだろうか、あるいは。

ともかく器質的疾患ではないということがわかってホッと一安心。

さすがに末梢(以下略)とCTをすれば医療費も9,000円を超えるわけで、こりゃ一泊二日くらいの入院費に近いなぁとか、ボリューム的にはそれくらいだなぁとか思うわけだけど、安心料として考えたら、安いよね。

俺、医大かかるってよ。(半年振り2回目)

先にBlogに投稿したとおり、1月下旬に症状出現。プレドニゾロン (プレドニン) 5 mg で様子を見ていたのですが、症状は治まっても副作用が相当出たため、今現在も減量 (1週間ごと1 mg ずつ) しています。

ところが減量するごとに症状がひどくなり、昨日今日はほとんどデスクワークでした。前回とは異なる背景はありますが (白血球中の好酸球が若干高値) そこらへんどうなのかなぁ。

とりあえず今は、四肢の筋肉痛、脚の痺れ感・脱力があることがあって、とっても暮らしにくい

半年振りに自室のベッド横に (床頭台よろしく) 小型机を設置し、ノートPCやら灰皿やら筆記具やらを移動。負荷をかけない生活をすることにしました。

主治医 (※プレドニン出した内科医は「これは神経内科とか「最初に手紙書いたの整形の**先生でしょ」などと二度も匙を投げたので、結果的に整形外科の方の主治医) が今週月曜受診時すぐに診療情報提供書を作成してくださり、翌日には予約が取れましたので、……といっても10日間は空いちゃったのですが、19日に「全国ニュースで昨今話題となっている某大学病院」に行ってきます。再びの旭川医科大学病院 脳神経内科です。

前回は外来で診て要精査で即入院だったけど、今回はどうなるかなぁ、ってことを嘆いていましたら、市立稚内病院のソーシャルワーカーから「一応、最低限の準備はしていったほうが良い」と言われっちまいました。

日常生活で難儀するところが出てきているので、受診までは基本的には家でも会社でもおとなしくしていようと思っています。この、待っている約一週間ってすごーく長く感じるんですよね。

あ、体はアレですけど頭と口はいつもどおりの調子ですのでご心配なく。。。

コーヒーを飲みすぎたせいで眠れずに朝。夫婦揃って眠れずに朝。

昼過ぎまでは体調良好だったものの、夕方から急降下。リスパダール液で凌げたと思ったらそんなこともなく、寝逃げしようと思った次第。

気晴らしというか気を紛らすために、旧友二人に電話。うち一人はアカデミックなときに一緒に研究を行った仲。昔話で盛り上がる。いまはアカデミアではないようだけれど、何年も何年も経て元気な声を聞けてよかった。

ステロイド、やめたってよ。

いやね、こんなに早くやめたとかやめるとかって記事を書くことになるとは思いませんでした。だって副作用ひどいんだもん。

 

教科書通りの不眠から始まり、3, 4日経てば持病の抑うつの悪化、食欲不振、云々かんぬん。

あまりにもひどいので病院に行くと「副作用出ちゃったかー」とDr.、そして「じゃあやめよっか」ということで、1週間ごとに1mgずつ減薬していっている最中です。

5mg→4mg/dayにして少しは副作用が少なくなったものの、まれにまた感覚差を覚えることがあり、趣味の方はしばらくお休み中。仕事もなんだか出れたり出られなかったりで申し訳ない感じ。

おそらく3月初旬にはゼロになるはずなんだけど、その後が問題ですねー。ま、後のことを考えても仕方がないので、徐々に徐々に減らしていくことに専念したいと思いますよー。

ステロイド、はじめたってよ。

どこに飲みたくて薬を飲む人がいるってんですか。
思い返せば一昨年の12月、突然夜中に息苦しくなって、妻に言われるがままに血圧を測れば最高血圧180超えをぶっ放ち、その翌日は息も絶え絶え午後に納品を終わらせて、吐き気とふらつきがあるまま家に帰って血圧測れば200超え。すぐに救急外来へ行き、それが金曜だったもんだから、その翌週から市立病院への内科通いが始まったのでした。

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2021年あけました

松の内もすっかり過ぎてしまったのに更新できずに1月も半ばになってしまいました。今年もよろしくお願いします。

今年の目標は元日に書くとか言ったいたのにすっかりタイミングを逃してしまいました。Facebookには投稿したのにね。

というわけで、

  1. データベーススペシャリスト試験に合格する
  2. FBグループ「いい書我が書」に毎日投稿する
    (現在のところ遅刻1回・投稿忘れ1回)
  3. 短歌を一日3首詠む
  4. 空手道6級に進む

と、プライベートはこの四本立てで行ってみようと思います。

仕事の目標などはBlogには書かないのです。

2020年のふりかえり

「四苦八苦」の「四苦」は「生老病死」のことをいうが、今年は特にそれを間近に見たり接したり、或いは感じたり考えさせられたりすることの多い一年であった。

商売の師匠の一人を亡くした

7月の暑い日。職業訓練を終えたあと、背広の上着を羽織ろうとしたら、胸ポケットにクリップで挟んでいたはずの、ノック式万年筆が飛び出し、そのままノック部分が床にあたって使い物にならなくなった。少し落ち込んだ気分のまま駐車場へ戻り車のエンジンをかけると、ラジオのニュースでは札幌市内でのワゴン車の衝突・死亡事件を伝えている。その、死亡したのが私が社会人になって初めて「師」と慕ったその人であった。数日後であったか翌日であったか、知人から訃報を受けた。

社会人1年目、古書店に勤めていたが、その社長はよくうちの事務所に遊びにきた。うちの店主と話し込むときもあったが、「こんちわ! おい! ◯◯君いるか?」と入って来られ、店主がいなければ「おい、まる。ちょっといいか」という感じで話が始まり、30分とか1時間とか喋ることが常であった。

余談だが、函館の今はなき棒二森屋での古本催事の旗振り役は私にしようと推してくださったのはその人であったと、人づてにきいた。

札幌へ走り、お通夜のそのとき、柩のなかの社長の姿をひと目見て、文字通り崩れ落ちる私の姿があった。翌日のお葬式には古書組合の方々とともに参列し、出棺まで見届けられたのは仕合わせであった。

横紋筋融解症になった

7月後半からたまにふらつくことはあったのだが、「まぁ疲れているんだろう」と思うことにしていた。ところが8月3日、下痢や嘔気といった胃腸炎症状で内科にかかると、なぜかレントゲンに採血までなされ、するとクレアチンキナーゼ(CK)の値が3000を超えており、とりあえずは外来的に点滴をしたものの、その後さらに転倒が続き、入院となった。

当初は高クレアチンキナーゼ血症ということで、約4日半にわたり輸液を受けてその数値は正常に戻ったものの、その後、下肢の筋痛・痺れに襲われた。が、概ね歩行に問題なしということで地元病院を退院。

しかし症状は治まるどころか上肢にも同じような症状が広がり、内科でも整形外科でも診療不能で「神経内科へ」と言われ、旭川医科大学病院の脳神経内科に診療情報提供書を書いてもらい、8月25日に受診すると要精査ということで即日入院。

ありとあらゆる検査を受けたが器質的な異常はなく、横紋筋融解症と診断される。おそらく、コレステロール治療薬か降圧剤の副作用と思われる。横紋筋融解症は地元病院では「稀なので」と研修医氏に否定されていたが、その診断となった。

その後は家でとにかく体を休ませたり、あるいは会社へは少しずつ出たりはしたが、症状改善せず、地元病院で理学療法を受けることに。けれども著しい効果もなく、どうしようかと思っていたところ、屋外で脱力し転倒したところ腰部を強打。整骨院に通うこととなり、つまりは低周波治療で強制的に筋肉を動かすということになり、10月半ばには症状消失、11月初旬の受診で正式に終診となった。ちょうど高クレアチンキナーゼ血症の診断から3ヶ月であった。

苦しいことばかりではなく……
空手を再開した

小学4年の夏から中学1年の3月まで続けていた空手。

去年は吹奏楽をやめたけれど何か物足りなく、しかも去年12月に高血圧症も患ってしまい適度な運動もしなえればいけなく、ちょうど良いタイミングだと思い、今年の1月から空手を再開した。

以前は全日本空手道連盟加盟の松濤館流の団体、今回は日本空手協会。同じ松濤館流だからさほど大きな変わりはないし、もっとも、子供の頃にお世話になった先生も、今は協会に所属している。ここの支部の指導員の面々も変わりなく、「入る気満々」で見学し、すぐ「入ります」と即答。

新型コロナウイルス感染症の関係で施設が利用できなかったり、先述の通り横紋筋融解症で数カ月間稽古ができなかったりで、実際には一年間のうち半分くらいしか稽古に行けず、年に二度ある昇級審査も12月のそれは坐骨神経痛があって受けられなかったけれど、ブランク約17年で無級から再開した身、仮8級でもまぁ「努力賞」ということで、来年には色帯になれることを目指しつつ、これからもじっくり取り組んでいこうかと。

もっとも、毎回通える・通いたくなるその気持ちの「もと」といえば、一緒に稽古をしている小中学生の子達の無垢な純粋さであり、彼ら彼女らに学ばされるところは多い。

書道

秋津書道会は6月末日締切に清書が間に合い、9月1日付で高等部を終了し芸術部 (人の部) へ。惜しむらくはその後横紋筋融解症になり筆を持つのもつらかったこと。これでサボりぐせがついてしまったので来年こそは毎日少しでも筆をもちたい。

ちなみに芸術部になると雅号を使ってもよいということで、私を書道の世界に引っ張ってくれた、小学3・4年のときの担任の雅号「恵逸」から一文字を頂戴し、「玄逸」とさせて頂いた。もっともその人にいわく、「◯◯ちゃんなら「玄◯」ってどうかなーって思ってたんだよね」とのこと。事実上その先生につけてもらったといっても過言ではなかろう。

短歌

しきない短歌会が毎年行っている「しきなみ賞・しきなみ新人賞」に気軽に応募したところ、ある日突然「入選のお知らせ」という封書が届き、開封すると「しきなみ新人賞 最優秀賞」とあった。夢かと思った。友人知人各氏からお祝いの言葉を頂戴し、やっと実感がわいてくるという有様ではあった。

令和2年5月1日付の、私が今までもらった賞状のなかで一番大きなそれを額に入れて部屋の高いところにおいてある。

ところで来年の目標は?

それは明日の更新のお楽しみということで。